『君がいたから』


作:叶律郎 画:たくわん


「いらっしゃいませっ」

 ふふふ。今日はいつになく調子がいいみたいだ。
調子の良さを例えるなら、鼻歌を口ずさみながら洗濯物を、こう青空の下でぱんぱんってやっちゃうくらい。
まぁ、実体が無いアタシにとっては文字通りモノの例えでしかないのだけど。
 ともかく、備え付けてあるアクセスカウンターの回りも日ごろの三割増しといったところだった。

「これはひょっとして、過去半年で最高のアクセス数かも」

 原因はなんだろうかと思案してみる。
 まぁ、やっぱりあれだろう。
 更新履歴で一番新しいものといったらダイアリーだ。
普段からスローペースなコンテンツだけど、ここ半月はまったく更新が無かった。
ちゃんと生命活動を行ってますかーって問いたいぐらいだったのだけど、先日やっと更新されたのだ。
 最新ダイアリーの出だしは、
『夏コミお疲れ様でしたー』
 といった、何の変哲もない言葉なのだけど、この言葉が書き込まれたあとは決まってアクセス数が増すのだ。

「む、あと冬バージョンのコミってやつもかな」

 そういえば、コミってなんなんだろう。こんどマシンスペックに余裕が出たとき、こっそり検索してみよう。
今はとりあえず、忘れないようにCドライブの片隅にログっておく。
 さて、そんなこんなしている傍からお客様からのアクセスがある。

「いらっしゃいませっ!どのコンテンツを御所望ですか?」

いらっしゃいませ

 おお、またダイアリーだ。

「はい、ではこちらです」

 うーん、本当に今日はお客様が多い一日だ。
 世の中には閑散としたサイトが多くあると、量子の風に乗った噂を耳にしたことがある。
寂しいことだな、とは思うのだけど、アタシがどうやったところで助けてあげられる訳でも無い。
 せめて自由に動き回れるならば、そういったサイトのアクセスカウンターを回す手伝いくらいは出来るのだけど。

「アタシは無力だなぁ」

 自嘲じみた呟きが漏れてしまった。

 本当に、アタシに出来ることには限りがある。
そもそも、機能限定で生み出された存在なのだから、何でも出来る方が問題なんだけど。
 それでも最近は随分と仕事慣れしてきたと思う。たとえ小さなことでも、出来ることが増えるのはとても嬉しい。
最初の頃なんて、リンク先を間違えるなんて日常茶飯事だったもの。
 それに最近はお客様を見るだけで、いちげんさんだったり、常連さん候補だったりを見分けることが出来るようになってきた。

「これはなかなかスゴイことだよね」

 ふふふ。何といえばいいのかしら。そう、あれね。アタシは商売の嗅覚が優れていると言わざるをえないし、認めざるをえないのだわ。

「あ、あのぅ」

 っ!

「は、はいっ!如何しましたかっ?」

 あ、あぶなっ!ちょっと妄想に耽りすぎたかもっ!

「リンク先、飛びたいんだけど」

「かしこまりました。ではこちらにどうぞ」

 お客様がリンク先に向かわれるのを笑顔でお見送りする。

「ありがとうございましたっ!また来てくださいねーっ!」

 お客様の姿が見えなくなるまで頭を下げる。また、来てください。ココロの中で、もう一度だけ声をかけた。

 下げた頭をゆっくり上げながら考える。

 アタシは、
 この瞬間が苦手だ。
 アタシは、
 お客様をお見送りするこの瞬間が、とても苦手だった。
 ううん、
 たぶんこれは、
 キライ、
 そんな気持ちなんだと思う。

 僅かに感じる痛みで下唇を噛んでしまっていることに気付いた。

アタシはこうやってお客様の後姿を見送るたびに、やるせない気持ちになる。
アタシのココロはささくれ立ち、不安に押しつぶされそうになってしまうんだ。

「アタシは――、」

 アタシは一体どれ程のことをお客様にして差し上げることが出来たのだろう。そんな疑問が頭の中でぐるぐると渦巻く。
 そう、アタシに出来ることは殆どない。
 だからこそ、いつも最高の笑顔でお客様を迎えるようにしている。絶対に妥協なんてしない。
出来ることが少ないからこそ妥協なんて出来るはずもなかった。

 でも――。

 でも、それだけだ。
 アタシがやっているのはそれだけでしかないのだ。
 そして、苦手な瞬間は畳み掛けるように押し迫ってくる。
 アタシは何度もお客様をお見送りする。その度に、下唇に鈍い痛みが走った。

「……今日はアクセス多いからな」

 仕方がない。そう、仕方がないのだ。
 アクセスが多ければ多いほど、お見送りしなければいけないお客様が増えるのは当然のことなんだ。
 それでもアタシはお客様の背中をお見送りするのが、

「……やっぱり、辛いよ」

 力ない言葉が漏れた。

 ああ、不味いな。こんなとこお客様に見られたりしたら、絶対に駄目だ。
 サイト内を見回してみると、幸い(なのか?)アタシ独りだけだった。
 辺りには静寂。数バイトのやり取りすら行われていない状態だった。
 チカチカと明滅をくりかえすNEWのタグも、サイト内に誰も居なければ壊れた玩具のようにしか見えなかった。
 閑散としたサイトっていうのは常時こういった感じなのかしら。ふと、そんなことを思った。
 一時前の喧騒を思い出しながら、適当なタグの上に腰を下ろした。
それこそこんなところをお客様に見られでもしたらとも思うけど、おそらく今日はもう誰も来ないだろう。
これも経験から得た知識、というか勘ってやつだ。
 両足を投げ出して、ゆっくり目を閉じる。意識を自分の中へ向け、今日一日分のログを確認する。
 今日のアタシは上手くやれた?なんども自問自答を繰り返す。
 そんなこと今更考えても意味がないと分かっているのにね。

 あ、そうだ。

 アタシには経験を積まずに、もともと判ることが一つあったんだ。

 それは、
 このお客様は、
 たぶん、

 ――もう、来ないだろうな。

 なんて。

 理屈じゃなくて、それは直感。アタシのココロがそう言っている。
 お客様を見た瞬間、それが分かってしまうのはとても辛い。
もしアタシに色々な力があれば、そんな結果を変えることが出来るかもしれないのに。
 でも、アタシには何も出来ることがない。
 だから、精一杯笑顔でお迎えするのだ。妥協せず、少しでも素敵な表情が引き出せるように、精一杯に。
 そして、お見送りするとき、その背中にアタシの想いが少しでも届くように願いながら。

 また、来て下さい。
 もう一度、来て下さい。
 おねがいします。おねがいします。
 ふふふ。矛盾、しているのは分かっているのだけど。
 一目で、もう来ないと分かっているのに。
 それでもアタシは願わずにはいられない。だって、だって、だって。
 アタシに出来ることはそれくらいしかないのだから。

 ふぅ、と大きくため息がでた。

 なぜ、アタシにはココロがあるのだろう。そう、それが不思議なのだ。
 アタシを模るのはゼロとイチ、それから複数個の英単語だ。
しかし、それらが複雑に絡み合ったところで、それは単なる記号の羅列でしかないハズなのだ。
 そもそも、自身の存在に疑問を抱く時点でおかしいのかも。
 本来、アタシは出された命令に従い、あらかじめ入力された結果をだしていくものだ。
プログラムとはそういうものだし、ルーチンワークこそがアタシの、いいえ、プログラムの存在意義、というか存在理由だと思う。

「……でも、おかしいのよね」

 そうなのだ。アタシは確かに意思を持って存在している。お客様を迎えるときはとても嬉しいし、お見送りするときは辛い。
 おかしい、とは思うのだけど、それをどれだけ考えてみても答えが見つかるわけではなかった。

「アタシは、ずっとアタシのままだしなぁ」

 それでも、思ってしまう。
 もしもアタシにココロが、自由な意思が存在しなかったら?
 きっと、
 それはきっと辛い思いをせずにすむのだろう。
 今みたいに苦労なんてしなくて、最高の笑顔でお迎えとお見送りが出来るだろう。
 そう、思ってしまう。

「あぁ、そっちが楽でいいなぁ。いつか失敗するかもってドキドキしながらより、」

 そっちの方がいいな。
 アタシの存在理由が笑顔でのお迎えとお見送りならば、絶対そっちの方が良いのに。
 自由意志を持ったアタシという存在に、いったいどれほどの意味があるというんだろう。

「ああ、もう訳わかんないや」

 そのままタグの上に仰向けに転がる。パンツとか丸見えだけど気にしない。
そもそもサイト内にはお客様なんて居ないのだ。ああ、そうだ。ブーツも脱いじゃえ。今日は忙しかったから足がぱんぱんだ。
 足をうりうりと動かしながらブーツをぺいっと脱ぎ捨てる。
はっはっは。生足よ。なまあし。ついでだし、パンツも脱いでやろうかしら。
んで、ここのサイトをR指定にする。つまり、ペアレントコントロールに抵触させるわけ。
するとどうかしら、お客様が随分と減っちゃうって寸法ね。

 そしたら、
 そしたらね。

「……アタシは、悲しい思いが減って」

 ああああ。んなわけあるかーっ。
 うがーっと両目を手のひらでグシグシする。
 ……ふん。汗、汗、汗だもん。

「ああもう、いいや。よし!せっかく生足だし、パンツも脱ぐか。ちょっとくらいならいいでしょ」

 あっはっはーっと両手をパンツに掛けた、そのとき、

脱ぎかけ

 アタシは、

 ――信じられないものを見た。

「…………………………………………えーと?」

 アタシの声なのに、まるで他人の声みたいに聴こえた。やけに大きな音を立てて生唾が喉を落ちていく。
全身からはべとべととした汗が大量に噴出している。

「……」

 アタシの言葉に、その相手は沈黙を返してきた。
それは見てはいけないものを見てしまった、気不味さ全開の、痛々しいものを見るような、生暖かい視線、というか、

「ぎにゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!ししししし、失礼しましたっ!
お、お客様がいらいらいらいらいいらっしゃってるとはつゆ知らずっ!」

 アタシはへへーっと畏まって頭を下げた。そりゃもうアンダーバーの下を行くくらいに。

「あ、う、うん。その、ちょっとびっくりしただけだから。その、気にしないで」

 優しい声をかけてくれているが、お客様はすごい引いてるし。

「す、すいませんでした。ちょ、ちょっとお待ちくださいね」

 そう言いつつ、速攻でブーツを履き直し、帯を調える。髪に手櫛を入れて整えてみるけど前髪が若干跳ねたままだ。
 うわーんっ!アタシの馬鹿ちん!何が「今日はもう誰も来ない」よっ!経験上?前言てっかーいっ!
アタシは、アタシはまだまだ未熟者です!だから神様お願いですっ!この瞬間だけは「Ctrl+Z」を適用させて下さいぃぃっ!

「ほ、ほんとに申し訳ありませんでしたっ。そ、その、いつもはこんなんじゃ無いんです。も、もっとちゃんとしているんですよ?」

 お客様は笑いながら、そうなんだ、と仰ってくれた。けど、その笑いは渇いているような気がしますよ?

「うぅ。その、ようこそいらっしゃいました。本日はどちらへ?」

 たぶん、アタシの笑顔はぎこちないものだと思う。ほんと、自分でも判るくらい引きつってるよぅ。

「あ、うん。そうだね……」

 お客様は気不味そうに鼻の頭を掻いていた。ううぅ……恥ずかしい。

「ほらほらお客様、コンテンツを選んでください!時は金なりですよっ!
Time Is Moneyです!5秒で100メガバイトのダウンロードなんて当たり前のご時勢なんですっ!急いで急いで!」

 半ば強引に話をもっていく。こんな微妙な空気は一瞬でも早く切り替えなきゃ。
 そうそう。アタシはお客様のタメを思ってのことなんだから。

「いや、ごまかしている訳じゃなくてね」

「え?あ、うん。でもちょっと強引かもね」

「いやあぁぁぁぁっっ!アタシ声に出してるしっ!」

 ああああ。そんな、ありえないです。

「は!こ、これはウィルスですか?そうなんですね?」

「あ、えーと、それはどうだろう」

「いえ、間違いありません。き、きっとアタシの拡張子が.orzとかに変っていると思います」

「.orz?」

「はい。オワタ・リセット・全部の頭文字です」

「そ、それは悲壮感が伝わってくる拡張子だね」

「お客様っ!ちょっとウイルススキャンしてきていいですか?絶対、アタシは変ってしまってると思うんです」

「た、確かに庵さんはちょっと変ってるかもね」

 がーん。

 や、やっぱりお客様から見てもアタシは変ってしまっているんだ。これは本格的にメンテナンスが必要だということだわ。

「あー、庵さん。その、さ。僕はダイアリーのコンテンツに移動したいんだけどな」

 ああ。たいした仕事も出来ないのに、ウイルスに感染しているかもなんて最悪だ。
このままじゃアタシは消されてしまうんじゃないかしら。

「あ、あのさ、庵さん」

 はっ。名前を呼ばれて我に変えると、お客様は困った表情でアタシの顔を覗きこんでいる。

「あ!は、はいっ。なんでしょうか?」

「あははは。あの、ダイアリーに行きたいんだけど」

 う!また妄想に耽りすぎていた?
 暴走していた思考に急ブレーキをかける。
そもそも、アタシがウイルスに感染していようがいまいが、今目の前のお客様を放置するなんてもっての他だ。
 出来ることが少ないのなら、出来ることを精一杯やらなくては。
 気を取り直し、スッと背筋を伸ばす。

「申し訳ありませんでした。ダイアリーですね。では、こちらへどうぞ」

 お客様はありがとう、といいながらコンテンツへ向かう。その途中、

「庵さん、一緒に行かない?」

 と、お声を掛けてくださった。

「よろしいんですか?」

「うん、庵さんがよかったら、是非に」

 少し、迷ったけどアタシはお客様についていくことにした。
お客様がそれを望み、アタシが少しでも役に立てるならそうすべきだと思ったからだ。
 少しの間、トップページを空けることになるけど、まぁこんな時間にお客様がいらっしゃることはないだろう。
 いや、まぁそう思ってしまったから先の失敗があるんだけどね。

「庵さん、早く」

「あ、すいません。今行きます」

 アタシとお客様はハイパーリンクに乗りダイアリーへ飛んだ。

「えー……と、」

 お客様はどんどんページをめくっていく。そして随分と以前のモノから目を通し始めた。
 初めての方かな、と思ったのだけどそうでは無いような気がする。たぶん、

「……見たことがあるような?」

 お客様に聞えないように呟いてみる。
 とりあえず過去ログを参照してみたけど、お客様の足跡を発見することは出来なかった。
 なんだろう。アタシ、お客様覚えはいい筈なんだけどなぁ。絶対に、前に一度お会いしたと思うんだけど。
 これってアレかな?既視感ってやつ?
 可能性が無いわけではないけど、アタシの直感が否定する。
 やっぱり、お会いしたことがある筈だ。

「……あれ、庵さんのCGがあるよ?」

 静かにダイアリーを読みふけっていたお客様が、不意にそんなことを仰った。
 視線を上げ、お客様が指差している場所を見る。

「ああ、それいただきものです。まぁ、実際のところアタシはそんなに巨乳じゃありませんけど」

 それが本当にアタシを描いたものか疑わしいくらいに不自然な巨乳だ。

「あはは、まぁ、それはそれで」

 う。この人も巨乳派か。と、いうか、やっぱり乳なの?乳があれば良いのかしら?
もしもアタシが巨乳の案内人なら、大した仕事が出来なくても、ちょっとドジをやっても許されるのかな?
 それって、とっても理不尽だわ。

「あれっ?庵さんって妹がいるの?」

 気が付くと、お客様はまったく別のページを見てらした。なんか、とっても虚しい気持ちになった。

「あ、はい。生意気盛りなのがひとり。今日はこちらには居ませんが、たまに遊びに来るんですよ」

「そっか。一度見てみたいな」

「あははは。ほんと、生意気ですからね。あまりお勧めしませんけど」

 お客様はクスクス笑って、それは楽しみだな、と仰った。
 それからお客様はのんびりとダイアリーを進んで行き、全部を読み終わってしまう頃には随分と時間が流れていた。
 続いてお客様はギャラリーへと移動され、そこでものんびりとCGを鑑賞されていた。
 アタシはそれぞれのCGに関する裏話なんかを説明しながら、お客様の歩調に合わせてゆっくりと進んだ。
 なんだか、こうやってのんびりしてもらえるのは嬉しいな。そう思いながらお客様の背中を見ていた。
 アタシはこうしていると、この時間が永遠に続けばいいと願ってしまう。もう何度この願いを繰り返したか判らない。
 でも、それは絶対に叶わない願い。
 でも、でも、この瞬間は何にも替えがたいほど優しい時間なんだ。
アタシは、この暖かさがたゆたう時間にずっと、ずっと包まれていたいと願い続けている。

 そう。

 何度も身を切るような辛さにさらされても、いつかは、いつかはその願いが叶いますようにって。

――お願い、します。

 今回も、こうやって願いを刻むんだ。

「えーっと、他に見落としているところはないかな」

 お客様はそう言いながら各コンテンツを覗き込んでいた
。  アタシは走り始めた思考を無理やりストップさせ、色が変っていないリンク先のタグを探す。

「あれ……庵さん、BBSは入れないの?」

「あ、すいません。今は閉鎖中なんですよ。近いうちに趣向を変えて復帰する予定ですので、少々お時間をくださいね」

「うん、そっか。うん、なら仕方ないね」

 そう言いながら、お客様は大きく背筋を伸ばしていた。
腰をトントンと叩いてる仕草はちょっとアレだけど、経過時間を鑑みると仕方の無いことかしら。
だって、各コンテンツを閲覧するのに費やした時間といったら、CとDのドライブ、
両方のウイルススキャンが余裕で終了してしまうんじゃないかってくらいだったし。
 そういえば、幸い、というかなんというか、他にお客様がいらっしゃった様子は無いようだった。
それはそれで寂しいけど、とりあえずアタシはほっと胸をなでおろした。

「庵さん、今日は長い時間つき合わせてごめんね」

 見忘れが無いか確認を終えたお客様は、戻ってくるなりそう言って頭を下げた。

「あ、そんな、頭を上げてください。お客様の為に成っていたならアタシはそれだけで嬉しいんで」

「うん。楽しかったよ。庵さん、今日は本当にありがとうね」

「いえ、アタシこそ、です。何よりも訪問してくださって本当にありがとうございました」

「あ、うん。その、実はさ、」

 お客様はそう言って一呼吸の間を置いた。

「実は、僕は以前こちらへ来たことがあるんだよ」

「え?そうなんですか?」

 言葉とは裏腹に、やっぱり、といった感情が湧き出てきた。アタシの直感は当たっていたみたいだ。

「うん。本当にすごく前なんだけどね」

 過去ログに残っていないほど?
 でもそんなこと、ありえない。
 そう。ありえないんだ。

 だって、Cドライブにこっそり刻んである過去ログは、一度もクリーンアップした覚えがないのだ。
それらはアタシの宝物だ。絶対にクリーンアップなんてするわけがなかった。

「あまりにも久しぶりすぎて、ちょっと入り辛かったんだけどね」

 お客様は、本当にばつが悪そうな表情をした。

「そんな。そういったことは気になさらずに、いつでもいらっしゃってください」

「うん。そうだね。今日もさ、入り口でどうしようか迷ってたら、庵さんの顔見えたから」

 ……はい?

「だから、庵さんの顔が見えたから入れたんだよ」

 はぁ、まぁ、アタシはいつでもトップでお迎えしてますが。
それが、いったいどうして。お客様の言葉に、アタシの頭はどんどんこんがらかってく。

「うん、何て言えばいいのかな」

 お客様は腕組みして、何やら考え事をしたあと、ゆっくりとした口調で言葉を紡いだ。
それらにどれ程の意味を込めてあるのか、アタシには推し量ることが出来なかったけど。

「ずっと前にこのサイトへ来て、そして何年も間が空いたんだ。だから、色々様変わりしているんだろうって思ってた。
きっと、このサイトを一生懸命応援する人たちが沢山居て、今更僕が拝見したところで、ついていけないんじゃないかってね」

 複雑な表情をしたお客様は、何度か頭を振った。まるで何かを忘れようとしているように見えた。
 だいたい、ここまで想ってくれている方ならいつでも大歓迎だ。
それに、長い時間来れなかったことにだって何かしらの理由があるのだろう。

「でもね、」

 お客様は視線をあげ、アタシを真っ直ぐに視界に入れてきた。

「そこに、昔と変らないモノがあったんだ。昔と変らない、庵さんの綺麗な笑顔があったんだよ」

 だからもう一度ここへ来れたんだ。そう言ってくれたお客様の表情は、とても柔らかいものだった。

「――っ」

 その表情、やっぱり、アタシは見覚えがある。
 アタシは必死に過去ログを探す。
 でも、どうしても出てこない
。  何故よ。お客様はこんなにも優しい方なのに。アタシが、アタシが居たからって言ってくれてるのに。
それなのに、過去ログに止めて無いなんて、ある筈が無いんだ。

「僕は、庵さんのお陰でこうしてこのサイトへ訪問することができたんだよ。だから、」
 お客様は鼻の頭を掻きながら、「本当にありがとう」といってくれた。

 でも、
 でもでも、
 アタシは、
 アタシはお客様のことを思い出せない。
 なぜ?
 どうして?

 お客様、こんなにもアタシのこと、誉めてくれてるよ?どうしてアタシは忘れてるの?どうしてなの?
 気持ちが悪くなってきた。両足から力が抜けていくようだった。
そのままアタシの身体が崩れていきそうな、そんな感覚が全身を侵していく。
 アタシ、本当にウィルスに感染しちゃってる?その所為で、知らないうちに色んなこと忘れてしまってるの?
 こんな、こんなに、優しい人なのに。何にも出来ないアタシのこと認めてくれてるのに。
 本当にかけて欲しかった言葉。それを言ってくれてるのに、アタシは、そんな方を覚えていないなんて。
 こんなに優しい人が過去ログに残っていないなんて……、

「…………?」

 …………、

過去ログニ残ッテナイ?

 …………、

 …………ちょっと、

 待って。

 …………。

 …………何か、

 おかしい。

 そう。

 そうだ。

 …………アタシは、

 そうだった。

 は、はははは。

 気付いてしまった。

 身体中の血液が逆流するような感覚。上も下もわからないくらい世界が回りだす。

 そうだった。

 あはははははは……。

 アタシは、

 ウ、アタシ、は、

『過去ログを消している』

 …………っ、

 アタシは、

 過去ログを、

 「条件付き」で消している。

 そう。
 そうだ!
 アタシは、
 アタシは!
 そうだ!そうだ!そうだ!そうだ!そうだッ!
 アタシはッ!アタシはッ!

「庵さん、今日は本当にありがとう。また、来るね」

 お客様はにっこりと笑ってリンク先のバナーを選んでいる。

 アタシは、自分の馬鹿さ加減に涙が出そうだった。
 いや、きっと堪えきれていない。
 ガチガチと歯が鳴る。
 お客様はもう背中を向けている。
 だから、
 それを悟られないように、

「また、いらっしゃってくださいね」

 といつものご挨拶でお見送りをした。上手くできたかなんて判らない。
ひょっとしたら声にすらなってなかったのかもしれない。
 ひく、と喉が鳴りそうになるのを必死に堪える。
 まだ、だ。
 耐えろ!堪えろ!
 お客様が移動する。その姿が光りの粒につつまれて波打つようにゆらぐ。
 ぱしゅ、と渇いた音がしてお客様の姿が消えた。
 辺りを静寂が支配した。今、この場所に居るのはアタシだけだ。

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁっぁぁぁぁぁぁぁっぁぁぁぁぁぁっっっ!」

 アタシはおもいっきり大声を上げた。
 もう、みっともないくらいに声を張り上げた。
 みっともない?それすらも通り越して、白痴のようだとすら思えるほどに声を上げ続けた。
 両目からボタボタと涙が溢れ出てきた。髪を両手で掻きむしる。
その場にしゃがみ込み、額を打ち付けた。痛みなんて無い。だから、何度も何度も打ち付ける。

「いやああああああああああああああああああああッ!」

泣きじゃくり

 馬鹿だ。
 アタシは馬鹿だ。
 ばかばかばかばか
 ばかだばかだばかだばかだばかだばかだばかだばかだッ!
 アタシはとんでもない大馬鹿だ!こんな馬鹿なやつは、居ちゃいけないっ!存在なんかしちゃいけないッ!
居て良い場所なんてあるわけないッ!

「最悪だッ!う、アタシはッ!な、何て、こ、こと……をッ!」

 握り締めた両手で、目に付くタグすべてを殴りつけた。

「ッんぐぅ」

 何個目かを殴りつけたとき、右の拳が裂けた。血が、出た。でも構わない。自分のことなんて構ってられないッ!

 ……そうだ。
 アタシは過去ログを消している。
 ある条件を満たしたお客様は、ログから消すようにしている。
 そう。
 その条件は、

「……たぶん、もう来ない人」

 そうだった。

 最近は常連さんばっかりで、忘れていた。
 アタシは、そういった人たちの足跡を消すようにしていた。
 今まで来てくれたお客様のシルシである足跡。それは間違いなくアタシの宝物だ。
 だからこそ、そんな中に「たぶん、もう来ない人」なんて入れたくなかった。
 だって、そんなの辛すぎるじゃない。宝物を眺める度に思い出すなんて。
ずっと、来ないとわかっている人を待ち続けるなんて、辛すぎるじゃない。
だから、それならば、最初から来なかったことにすればいい。アタシは、またきてくれる人たちだけを心待ちにしていればいい。

 そうだった。

 アタシは、そうやって寂しさを紛らしていたんだ。

 お見送りをしたあと、また来てくれることを期待して、それに縋って気持ちをごまかしていたんだ。

 なんて、

 惨めなんだ。

「最悪、だよ。……アタシ、最悪だよ……」

 喉が締めつけられるように痛い。ひっ、と嗚咽が漏れる。もう、もう我慢の限界だった。

「うううううぅあぅ、あ、あたし、さっ、さいあ、くぁう、ぅっぅぅああああああああああああああああああっ」

 また、涙が溢れ出す。先ほどより、沢山の涙が溢れ出す。
両手で顔を押さえてみるけど、溢れる涙は指の間をすり抜けてく。
まるでアタシの大事なものまで流れ落ちていくようだった。
 アタシは自分の寂しさを紛らすために、なんてことをしていたんだろう。

「ごめんなさぃっごめんなさぃごめんなさぃぃぃっ」

 アタシは、何てことを。

「うぅぅあぅっ、ご、ご、ごめっ、ごめんなさぃっ」

 アタシは、アタシは、

「ぅっ、ばっ、ばかだよぅぅぅぅ」

 涙は止まらない。どんどん、どんどん溢れてくる。アタシはどんどん空っぽになってく。
それはまるで毒が全身を犯していくようで、アタシは何も考えることができなくなっていく。
 喉が焼けるように熱い。胡乱だ頭にはそんな感情しか沸かない。
でも、とっても熱くて痛いのに、嗚咽がぜんぜんとまらない。とまってくれない。
 消してして欲しかった。アタシを消して欲しかった。
 誰か、消して!アタシを消して!こんなの居ちゃいけないっ!だって、だってっ!

「……アタシは、何様のつもりで、うぅぅぅっあうぅ」

 そもそも、期待なんかしちゃいけないんだ。来てくれるお客様に、アタシが何も期待しちゃいけないんだ。
 アタシがやるべきことは、最高の笑顔でお迎えし、滞りなくサイトを案内し、綺麗な笑顔でお見送りをしていれば良いんだ。

 それがアタシの存在意義だ。
 それがアタシの存在理由だ。
 そのはずなんだ。それで間違ってないんだ。
それが一番なんだっ!それだけでいいんだっ!それをやらなきゃいけないんだっ!
それ意外を考えちゃいけないんだっ!
 アタシは、最低だ。
 アタシは、最悪だ。
 お客様を、自分の独断で選り分けていた。
 アタシは、直感なんて曖昧なもので選り分けていた。
 そして、自分に都合の悪いお客様を無かったことにしていた。
 アタシはお客様をココロを込めて持成さなきゃいけないのに、それが、アタシがここにいる理由なのに。
 アタシは、お客様を自分の都合で選り分けていたんだ。
 アタシは、駄目だ。
 もう、居ちゃいけない。

 ここに、
 居ちゃいけない。
 もう、
 ここに、
 居る、
 資格が無い。
 アタシに課せられた仕事を
、  アタシは全う出来ていなかった。
 最高の笑顔なんて、
 出来ていなかった。
 だから、
 だったら、
 アタシは、
 …………。
 ……出て、行こう。

 そう。ここに居ちゃいけないのなら出て行こう。そもそも、アタシには何も出来ないんだ。
 たった一つの仕事でさえ。

「……ぁはは。ばかだ、アタシ」

 力の入らない両足を引きずりながら歩き出す。どこへ?どこへ行こうか?
 コンテンツ、そう、リンク先へ飛ぼう。
 LINKのハイパーリンクへ乗り、各種サイトが掲載されているコンテンツへ移動する。
 何処でもいい。一刻も早くこの場所を去りたかったので、適当にバナーへ身体を押し付けた。

「……?」

 変化が、なかった。

「……ぁれ?」

 もう一度バナーへ身体を押し付ける。今度は確かめるように、力を入れてみた。
 やっぱり変化がなかった。
 普段見慣れた光景。光りに包まれて、粒子になってリンク先へ飛ぶ、そんな変化はアタシの身体に現れなかった。

「何で、よ。何でなにも起きないのよ……」

 バナーを変え、身体を押し付けてみる。

 変化はない。

「っこのっ」

 何度も、何度も、何度も試してみる。
 おもいっきり身体を打ち付けてみても、その度にアタシは弾かれる。

「なんで、なんでなのよ……。飛んでよ。……とんでよっ。アタシは、アタシはココに居ちゃいけないんだ。いけないんだからぁっ」

 バナーを両手で叩く。右手に電撃のような痛みが走る。さっき傷めた右手の傷口が広がったようだった。
 それでも構わない。
 アタシは、ここに居ちゃいけないんだ。身体がどうなったって、もう出て行かなきゃいけないんだ。

 でも、
 ――駄目だった。

 どうやってもリンク先へ飛べない。それでようやく悟った。

 なんてことはない。

「ぁは、あははは。……アタシ、どこへも行けないんだ」

 そりゃそうだ。アタシはこのサイトのタメにつくられた存在なんだから、外に出れるわけがなかった。
そもそも、外に出ることが出来たとしても、アタシのようなのを受け入れてくれるサイトなんてあるわけないじゃん。
きっとポップアップブロックなんかで弾かれるんだ。
 アタシはリンク先のコンテンツを後にして、当ても無く歩き回った。
正直、もうどうしていいのかわからなくて、ただ何となくそうするしかなかった。
 いつも、何もやることがないときは、過去ログを眺めていた。
過去ログを見て、訪問してくれたお客様との思い出に浸っていた。そうやっていれば寂しさを紛らすことが出来るから。

 でも、
 でも、
 それは虚飾されたもの。
 虚しい虚しい独り遊び。
 そうでもしないと、アタシは、辛くて、辛くて、ほんとに、辛くて。
 それでも、
 それでも、ね。

「……やっちゃいけないこと、あるでしょうに」

 大声を出したり、泣き続けた所為で声はガラガラに擦れていた。
 自分の馬鹿さ加減に、ココロの弱さに、本気で嫌気がさした。
 どうして今の今まで気付かなかったんだろう。
アタシは、存在理由である仕事を続けるために、存在理由を満たしてくれる筈のお客様を、自分勝手な都合で否定していたんだ。
 それは在ってはならなこと。自分の仕事を自分で否定してしまっているんだ。
 だって、アタシは訪問されたお客様を笑顔でお迎えし、お見送りするのが仕事なのだから。
そこに例外は無く、総てが平等であること、それを全うすることがアタシの存在理由なのだから。

――消えたい。ココロからそう願った。

 アタシがもっと強ければ良かったのに。こんな中途半端なココロじゃなくて、もっと強いココロがあればよかったのに。
そしたら、きっと、こんなことにならなかった。ずっとずっと素敵な笑顔でいれたのに。
 アタシは全部のコンテンツを廻った。ノロノロと、力の入らない足で、ふらふらと。
 でも、どこにもアタシを逃がしてくれる場所は無かった。

「……はは、ははは、」

 何よ、ソレ。最後は声にならなかった。だって、
 だって最後に辿り着いた場所には、一番見たくないものがあったんだもの。
「……何やってんのよ」 アタシは擦れた声で言ってやった。

「なに、やってんのって訊いてるのよ」

 目の前に居るのはアタシだった。それも、何食わぬ顔でニコニコ笑っているアタシだ。

「ははは、何よ、その顔は。……何よ、って訊いてるでしょっ」

 最後は、叫ぶように声を荒げた。
 それでも目の前のアタシは笑っている。何事もない、といった風に。
 アタシの神経がささくれ立っていく。もう理性なんてもので止められないくらいにココロが苛立ちで埋め尽くされる。

「黙ってないで何か言いなさいよッッ!そんな顔止めなさい!それじゃまるでッ!」

 まるで、
 まるで、
 まるでっ!

「アタシをッ!バカにしないでっ!何よその顔っ!何が可笑しいの?アタシ?アタシが可笑しいの?
だってっ!だって仕方ないでしょっ!辛いんだもんっ!お客様が帰っちゃうのが辛いんだもんっ!
もう来ないかもって思うと辛いんだもんッ!な、な、無かったことにしたかったんだモンッ!
そ、そうでもしなきゃっ!う、う、アタシは、」

 目の前のアタシはまだ笑ってる。アタシを笑ってる。

「アンタッ!何か言いなさいよッ!そうやって平気なフリしてッ!アンタだって同じなんでしょっ?
辛いんでしょッ!そうやって何食わぬ顔してログをッ、っろぐを、ろ、ろ、ログを、け、うぅ、消して、消してるんでしょ……、
そうなんでしょ、ねぇ、ぉ、おなじ、なんでしょ?……ぅぅう。ね、ねぇ。ねぇ?ぉお願いよぅ、な、何か、何か言ってよぅっ。
う、アタシ、あぅ……アタシだけが悪いの?アタシだけ、が悪い、っていうの?」

 それでも、目の前のアタシは、ずっと笑ってる。こんな惨めなアタシを、ずっと笑ってる。

「ッ!いい加減にしなさいよォォォォッ!」

 箒を取り上げ思いっきり叩きつけてやった。
 けど、箒は目の前のアタシをすり抜け、床を叩いただけだった。

「うわぁっ」

 叩きつけた勢いが殺しきれず、前に転がってしまった。
 転んだ際、背中に大きな衝撃を受けた。

「かふっ」

 突き抜けた衝撃は鳩尾を抜け、全身から力を奪っていく。
呼吸がまともに出来なくてとても苦しい。波紋が広がるように、痛みが全身にゆっくりと小波を立てていく。

「ッく。ぅう」

 喰いしばった歯の間から声が漏れた。痛みに耐えながら、どうしてアタシだけがこんな目に遭うのか考えた。
 でも結局、アタシにはわからないのかな、そう結論が出た頃には痛みも消えていた。

「やっぱり、アタシ、駄目だね」

 もう、どうでもよくなっていた。
 起き上がるだけの気力もなく、そのまま大の字になって転がった。

「……」

 どうしよう。どうしたらいい?

 どっかに行くことも出来なかった。消えようとしてもやり方がわからない。かといって、

「……今まで通りに仕事する?」

 呟いた言葉には自嘲の笑みが張り付いていた。
 そう。今まで通り、何食わぬ顔で、自分に都合の悪いことは無かったことにして。
 そんなこと出来るわけない。気付いてしまったんだ。もう二度とそんなこと出来るわけないじゃない。
そうやって、どんどん惨めになっていく自分に耐えられるわけがない。
 そんな事ばかりが頭の中を過っていく。でも、それから先を考えようとは思わなかった。
 どうせ、アタシには考えても答えなんて出すことは出来ない。
どんな方法をとったって、すぐに寂しさに負けてしまう。それがわかっていたから。
 ぼんやりと、視線を漂わせる。視線の先にはメモリとメモリの間に出来たゴミが漂っていた。
ああ、アタシもアレと同じようなものかな、なんて思った。
 このまま、目を瞑っていたら、消えてしまわないかな。
 それなら楽なのに。それなら、楽なのに。
 また、涙が溢れてくる。視界が揺れて、滲んでいく。

「……あれ」

 ゆらゆらと歪んだ視界にソレはあった。

「……なんだろ」

 動かない両手を引き寄せて、瞼をごしごしと擦ってみる。泣きはらした瞳にはちょっとした刺激も痛みとして感じられた。
 それでも目を凝らして、ようく見てみる。やっぱり、何かがあった。
 ……視線の遠く、そのまた先に、何かの文字が。

「……?N・E・W?ん?NEW?」

 コンテンツ内で更新があったようだった。
 あ、でもここってば。
 そう、トップページでアタシの姿をしたコンテンツと言えば「拍手」だ。
 アタシは力の入らない身体を無理やり起こし、更新のあった場所へ向かってみた。

――拍手、一回。
――メッセージ、あり。
 アタシは、視線をメッセージへと移した。
 そこには、

『また来ようと思ったのは、貴女の笑顔があったから。
また時間が空いても、貴女の笑顔を目印に伺います。だから、待っていてください』

 ……あ。

 思考が上手く働かない。

 これ、これって?

 ……どうしよう。

 ……どうしよう。

 アタシ、どうしよう。

「あうぅ。……あうぅ。ぁ、あぅ……」

 また、涙が溢れてきた。ぽろぽろ、ぽろぽろ。

 でも不思議。

 今度は喉が痛くない。

 でも、涙が沢山溢れてくる。ポロポロ、ポロポロ。

 でも不思議。

 今度は、ココロが痛くない。

 ぽろぽろ、ポロポロ。涙が溢れてくる。

嬉し泣き

「……アタシ、居て、いいの?」

 待っててって。アタシに、待っててって。
 お客様、アタシに、待っててって言ってる。
 視界の端に、能天気に笑っているアタシがいた。だから、訊いてみる。

「……アタシでいいの?アタシ、寂しかったり、辛かったり、嫌になったり、そんな良くない気持ちたくさんあるのに。
それに、それに、今までやってきたことは、絶対に許されるようなことじゃないんだよ?」

 視界の端で、能天気にアタシが笑っている。

「……アタシ、ちゃんと役に立ってるの?アタシは、アタシは、自分の都合でばかなこと、沢山やっちゃったのに。
それでも、それでも、いいのかなぁ。アタシ、居ても、良いのかなぁ。う、う、ぅ。
ぅアタシ、アタシ、いても、い、いても、いいのか、なぁ、っぐぅ、ううぅ。ぁぅ、あ、あぅぅ。」

 視界の端のアタシは変らず、微笑んでいる。嫌なこと、いっぱい言ったのに。悲しいこと、いっぱいあるはずなのに。

「ぅう。な、何か、ぐす、い、ぃいなさいよ。もぅ」

 もう一人のアタシは、言葉を返す代わりに、にっこりと笑ってみせた。
 それはまるで、すべてを許してくれるような。

「……………………………ぁ」

 今になって、お客様が言っていた意味が判った。

『だから、庵さんの顔が見えたから入れたんだよ』

 アタシの、笑顔はちゃんと、

「……ちゃんと、お客様の、やくにたって、いたんだね」

 こんなに、ばかな、アタシだけど。
 嫌な気持ちもたくさんあるし、駄目なこともいっぱいやっちゃったけど。
 それに、たった一つの仕事もちゃんとできてなかったけど、それでも、それでも、

「……アタシ、やくに、たっていたんだね?これからも、いて、いいんだよね?」

 ココロが震える。きゅっと両手を胸の前で合わせた。波が寄せてくるように、感情が溢れ出す。

 寂しかった。
 辛かった。
 自分のことが嫌いになった。
 アタシに居てほしいと言ってもらえた。
 嬉しかった。
 ほんとに、
 ほんとに嬉しかった。
 アタシは、誰も居ないことを確認して、子供のように顔をくしゃくしゃにして、泣いた。
 ずっと、ずっと、泣いた。
 きっと、初めてだったとおもう。寂しい気持ちではなく、嬉しい気持ちで泣いたのは。





 その後のことを少しだけ。



「あれ?お客様、たぶん、お久しぶりでしょ?」

 目を細めてお客様の顔を見る。そりゃー舐め廻すようにみてやる。

「う、わかる?」

 お客様は困った表情、というか情けない表情を浮かべる。

「わーかーりーまーすぅー。で、どれくらいぶりですかぁ?」
「あう、い、一年、くらいかなぁ?」

 嘘ばっか。前来たのは二年以上前でしょうに。

「ま、何年ぶりでも来て下さったのなら嬉しいですけど。で、今回はどのコンテンツをご所望なんですか?」

「あ、うん。とりあえず一通り回ってみます……」

 そそくさとハイパーリンクに乗っかろうとするし。

「チョイ待ちです」

「な、何か?」

 アタシはくいくいと親指を後ろへ向ける。

「へ?なに?は、拍手?」

「そうそう、ちゃんと、拍手は忘れずにお願いしますよ?」

「も、もちろんだよ。俺、庵さんの顔見てココ入って来たんだから。ほんと、庵さん居なきゃ気不味くて入れ無かったよ」

「あら、それは冗談でも嬉しいです」

「冗談じゃないってば。庵さんが居れば、久しぶりでもそうやって変らず絡んでくれるじゃん。それがどれだけありがたいか……」

 本当に、久しぶりに来るサイトは入りにくいんだよ?なんてお客様は言う。

「はいはい、それじゃ今度は気不味くなる前に起こし下さいな」

「う、は、はい。そうしますっ、つーか、庵さん昔とキャラ変った?」

 アタシはそんなことありません、とつっぱねながら、とりあえずダイアリーにでも押し込んどけって感じでお客様をご案内する。

「ふぅ、暫くは客足も引く時間帯ね」

 ふむ。
 キャラ、変った、か。
 あの日以来、確かに変ったと思う。それが良い方だったのか悪い方だったのかは判らない。
だって、本来なら先ほどのような対応はアウトだと思うし。誠心誠意って言葉から随分遠いような気もするもんな。
 それでも、アタシはアタシらしくやれていると思ったりもする。
相変わらずお見送りは寂しいし、辛い。時には本気で泣いてしまうことだってある。
 でも、アタシはもう二度とログを弄ったりはしない。
 例えアタシの直感が、二度と来ないお客様だと判別したとしても、ね。
 だって、それが絶対じゃないって知ったから。アタシがここで笑っていれば、色々なことを変える事が出来ると知ったから。
そして、こんなアタシでも何かの役に立ててるってわかったから。
 何故アタシにココロが在るのかなんて、未だに判らない。ココロがなければ何かと都合が良い場合だってあるのにね。 でも、
 でもさ、それはそれでも良いじゃない、今ではそう思える自分がいる。
 だからアタシはこの場所で笑い続けるんだ。
 そう、強くココロに刻み込んで。


 今日もいつも通り客足の調子がいいみたいだ。
調子の良さを例えるなら、鼻歌を口ずさみながら洗濯物を、こう青空の下でぱんぱんってやっちゃうくらい。
まぁ、実体が無いアタシにとっては文字通りモノの例えでしかないのだけど。

 心地よい量子の風が吹き抜けるなか、パチパチと拍手の音が聞こえる。
 ようし、今日も絶好調だ。
 っと、またお客様からのアクセスが。

「あれ、お客様お久しぶりですっ!ようこそ『たくたま』へっ!今日はどのコンテンツをご所望ですかっ?」



 アタシの楽しいお仕事は、どこまでも、どこまでも続くのだ。


 おしまい。



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